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   2002年11月 
 30
 夜の10時10分。10:30と11:30埼玉の宅配に送れまいとして慌ててハンドルを切ったとき、バイクを跳ねてしまいました。良く見て発進したつもりだったので、起きている事がとっさに理解できませんでした。幸い怪我はなく、息子と同い年の早稲田の学生さんでしたので打ち解けて、笑顔でずっと語り合いましたが、本当に申し訳ない事をしてしまいました。実況見分や、警察署での調書を執られ家に帰り着いたのは3時でした。

 きっとこの調子で分刻みで車を運転していては、いつか事故を起こすだろうと思っていました。
 今日の昼間、宅配を兼ねたお見合い付き添いに少し遅れ、「御相手の方も機嫌が悪くなったし二度とこのようなことは無いようにしてください。次のときは大丈夫ですね。」とお叱りを受けて恐縮したばかりでした。師走でなのか、土曜日なのに道が所々びくとも動かなくて、一日中あせってあちこちへの運転をし続けました。工事もやたら多くて、泣きたかった一日でした。夕食をとる時間も無くて、結局警察の待ち時間に買ってあったお弁当を食べました。夜中過ぎの1時半でした。
 
 この事故をしっかりと受け止めて、自分自身への警告と捉えようと思います。

 こんなにめちゃくちゃ働いているのに、元々働き者でいつもせっせと働いてはきたものの、こんなに幾つもの作業をこなしながら、追われまくっても仕事はできるのだと生まれて始めて知りました。なのに月10万円にもならないどころか、赤字だなんてまったく考えられないです。その上に怪我をしたり、死んだり、人を轢いたりしたら、目も当てられないです。自分だけならいざ知れず、他人を巻き添えにするのは論外なので、深く反省すべきだと思いました。

 二〜三日じっくり考えたいと思います。

 23
 子供さんのいらっしゃる新会員さんの写真を大宮で撮りました。可愛く撮れていると思います。

 撮影後に飛んで帰り、韓国の友人の買い物の御手伝いをしました。

 夕方男性の方に入会説明をして最後に大学名を御伺いしたら、東大卒後、ハーバード卒の物理博士の方でした。ビックリ致しました。

 21
 この前撮影した新会員の女性さんと打合せをしました。少しずつ打ち解けていくと表情が一層輝いてとても素敵でした。

 リサイクルショップを4軒回りました。韓国からきた友人は息子の為に冷蔵庫、洗濯機、コタツ、コタツがけ、ホットカーペット、電気温風暖房機、本箱2つ、3段ケースでしめて6万円。かなり質のいい物を手に入れました。良かったです。

 20
 今日はかなりはかどりました。9:30から、後30分まで隙間なく、車へも駆け足で頑張りました。私の憩いの場は唯一車の中です。缶コーヒーを飲んでいます。

 19
 朝一から超特急で撮影し、六義園から成田に直行しました。2:30に間に合いました。韓国の友人が子供の引越しの準備の為に10日間日本に滞在します。嬉しいです。彼女の息子さんは東大の2年生で、背が高く、正真正銘のハンサムできりっとした、かわいい男の子です。キラキラ弾んでいて、若さってパワーあるナーとつくづく感じます。

 18
 忙しい一日でした。

 17
 日暮里の六義園の側のマンションを撮影しました。古い御屋敷街でそこの跡地に小さな高級マンションが幾つも建っていたり、建築中の所でした。

 皆が私の死ぬのを待っているのよと言った、叔母の親友の無表情の顔がふと浮かびました。

 その方の家は六義園のちょうど反対側でした。古い塀に囲まれ、インターフォンを押すと、内では在りませんがと、男の方の声で横の木戸から入るようにと教えられました。入ると手前の家の脇に古い平屋がありました。庭は広く手入れが行き届いているのが垣間見れました。呼び鈴にようやく答えた小さな声を頼りにガラガラと玄関をあけると、暗い廊下の向こうまで新聞紙が敷き詰められており、その先のふすま戸のところから、体を折り曲げた小さな顔が、もう歩けなくなって這っているの、と私に語りかけてきました。

 家の匂いとともに総てが理解できました。新聞紙はトイレまで続いているものでした。どうしてこういう事になるのでしょう。
 
 全くの他人の私に何が出来るのでしょう。どうして山のようにお金があるのにこんな悲惨な状況におきっ放しにするのだろうかと、口惜しく思うばかりです。きっと叔母の友人ですから頑固なのでしょう。きっと誰が悪いわけでもなく、こうなるべくしてなったのでしょう。何より、本人が一番希望してこうなっているのかもしれませんし、私の感覚が間違っているのかもしれません・・。

 目が片方見えなくなったとか。食事はどうしているのでしょう。悲しいです。


 16
 新会員のお嬢さんの撮影ではじめて目黒雅叙園に行ってきました。びっくりしました。あそこだけ別世界なのですね。結婚ってすごいなとただただ感心してしまいました。
 凄い忙しさと、分刻みの動きが一っ週間っ続いていて、今日は道路に車を寄せてガーっと30分寝てしまいました。明日は撮影だし、来週はもっと忙しくなりそうで・・、頑張ります。


 15
 おばの方見分けの手渡し最後の所へうかがい、お寺さんと、その近くにある小料理屋さんへ注文の確認に御伺いしました。

 14
 叔母の形見分けをしに多摩のほうへ仕事をぬっていってきました。

 13
 男の子のいらっしゃるキュートで可愛い素敵な女性が入会してくださいました。楽しみです。

 12
 遺産相続というのは大変でうんざりする事ナんだということが身に染みてわかりました。私はもう遺言書を書いてあります。家族が僅かな事で心が揺れないようにするのは大切な配慮だと思います。

 11
 モダンで素敵な女性が入会内定しました。頑張ります。

 10
 今日も仕事を頑張りました。

 09
 山のような仕事と格闘しました。明日も頑張ります。

 08
 最後の雑務や役所の届け、家の売却のお願いなどをしてきました。叔母の友人にも連絡しましたし、納骨の日取りも決め、一応全部終了しました。明日からは仕事に専念します。頑張ります。

 07
 親戚1名とたった2人での淋しい野辺送りのつもりが、主人も行ってくれ、ご近所の方3人も来て下さり、いっぱいのユリや菊の花に囲まれて、叔母は静かに旅立つ事ができました。本当に良かったです。ありがとうございました。

 06
 今日は東京で写真や他のたまりきった仕事で動きづめでした。又、4つのローンを残金一括して身軽になりました。 フー!! です。叔母さん有り難うございました。8日からは仕事に全力投球します。明日は朝4:30起きでおじを迎えに行き朝の7:30にお坊さんが来て下さるので九十九里に到着しなければなりません。頑張ります。2時間半しか寝れないです

 05
 銀行が凍結される前にと9時から走り回り、様々な支払いや僅かですがあった遺産の分割と振込み、お礼まわり、葬儀の準備や手配の打合せ、おばの好きなお花の購入等総ての事を凄いスピードで完了させました。焼き場が込んでいて7日の朝一しかとれなかったので叔母に旅立ちの準備をさせて、お燗に入れ、冷蔵室に安置しました。最後は叔母が色々な意味でご迷惑をかけた隣近所に、お茶セットを持って謝罪と挨拶をしに行きました。もう気にしなくていいからと許してくださる笑顔がすごくうれしかったです。ほっとしました。
 一人で頑張ったって、人は一人ではこの世を去れないのだということが良くわかりました。
 たった一人で駆けずり回りながら色々な事を考えた重い一日でした。

 04
 叔母が他界しました。今日の夕焼けは濃く澄んでいて心に染みる綺麗さでした。

 03
 母の具合がやはり戻らなかったので今日も行けませんでした。代わりにいとこを連れて行きました。でも叔母はもう意識が無い状態でした。母を連れてこなくて良かったとほっとしました。

 02
 叔母の所に行ってきました。病院から指示を受け浴衣を購入したり、葬儀場の打合せにも行ってきました。なんだか凄く心が痛みます。おばは私が来た事で突然凄く元気になってくれました。座りたいといってベットに腰をおろしました。

 看護婦さんと二人がかりで布団に支えたりしようと思いましたが、体に力がなく、まるで生まれたての赤ちゃんのようで、私は全身で抱きささえましたが、すぐに苦しいというので元に戻してあげました。

 お刺身を美味しいと食べてくれました。明日母を連れて行きます。意識がしっかりしていてくれる事を祈るばかりです。


 01
叔母が危篤との事。濃い霧の中、真夜中に一人で到着しましたが病院はチャイムを鳴らしても応答がありません。電話を入れても誰も出ず、九十九里の真っ暗な空間で途方にくれてしまいました。笹薮の音だけがやけに煩く、田舎なので本当に真っ暗闇で、深い霧が恐ろしいほど視界をさえぎり、久し振りに怖かったです。結局入れたのですが叔母は深く眠って安定しているという説明を聞き、又真夜中の道を帰りました。

 2〜3メートル先しか見えない霧の波間の中をとろとろと、何度も東京の主人にSOSを出しては励まされ、冬近くなのに手のひらに汗をかいて、2時半頃に帰り着きました。怖く寒い6時間でした。主人のありがたさをつくづく感じました。

 叔母はもっともっと怖い時間の中にもっともっと長く居るんだと思うと心が痛みました。仕事があるとはいえ枕元に座りつづけてあげるべきだったのではと後悔もしました。

 母や、他の人達を傷つけ泣かせつづけた意地悪なおばさんですが、私だけはなんだかその心の動きが憎めなくって。ありもしないひどいことを言われても激怒するより、よくそんな事を上手に作り上げるなと感心したりしていました。

 おしめを代えてもらったりしていたそうですから、どこか母親に対するような感覚がベースにあるからでしょうか。

 この前叔母がつくづく言っていました。結婚すれば良かったと。「いっつも紀子ちゃんに結婚したほうがいいよって言われてたのにね。」と本気でつぶやいていました。そういえば、叔母さんにだけは言っていました。高校生の頃から。私なりに心配だったのですね。



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